ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

生涯

ビクトリア女王時代のイギリスに生まれたビアトリクス・ポターは、弟が学校に行っている間、音楽と美術を教わりました。
ビアトリクスは人と接するときには恥ずかしがりやで内気な性格でしたが、独自の暗号で書かれた秘密の日記を見ると、当時の芸術家についてかなり批評的な意見を持つ社交好きな女
性であったことがわかります。
ビアトリクス・ポターのフィアンセで出版者だったノーマン・ウォーンの悲劇的な死後、ビアトリクスは未婚のままでいましたが、47歳のとき、湖水地方の不動産アドバイザーのウィリアム・ヒーリスと結婚しました。
ビアトリクスは晩年、湖水地方の自然環境と自然美の保護に専念しました。
ナショナルトラストとともに活動したビアトリクスは、自分の土地の大部分を、生きる風景画として保存されるようにナショナルトラストに残しました。
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ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

人柄

ビアトリクス・ポターは子どもの頃から、絵を描くのが大好きでした。
ひとりで絵を描いてばかりいたビアトリクスの作品が、動物や植物を描いた複雑な子ども時代のスケッチもあります。
湖水地方で家族と過ごす休日には、風景画にも挑戦しました。
ビアトリクスの描写は厳密なものではありませんでしたが、ビアトリクスの描くウサギは晴れ着を身に着けて初めて完成しました。
ネズミは、前足が糸を紡いだり、結んだり、縫ったりできてこそ完成するというものでした。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

子供時代

ビアトリクス・ポターは1866年7月28日、ロンドンのケンジントンのボルトンガーデンズ2番地に生まれました。
ビクトリア朝時代での典型的な家庭といえるポター家は、幾人かの召使つきの大きな屋敷に住んでいました。
ビアトリクスは乳母に育てられたため、ほとんどの時間を一人きりで過ごし、両親に会うのは就寝前と何か特別なことがあるときだけでした。
ビアトリクスが歳のとき、弟のバートラムが生まれました。
姉弟はバートラムが学校にあがる年齢になるまで、家庭教師によって教育されました。
ビアトリクスは学校へは行かず、家庭で数人の女家庭教師について読み書きを勉強し、音楽や美術を習いました。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

子供時代のスケッチ

ビアトリクス・ポターのスケッチブックや彼女が使っていた教科書の多くは今でも見ることができます。
よく描かれていたのは、ビアトリクスや弟のバートラムが飼っていたペットや植物でした。
ビアトリクスが押し花にしたシダの葉がそのまま残っていたりもします。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

ポターの休暇

ビアトリクスは毎年恒例の夏の休暇でスコットランドと湖水地方を訪れるうちに、自然への愛情にめざめました。
彼女はバートラムとともに森や野原を探検し、野生の動物を捕まえてはペットとして飼い、
観察したことはすべてスケッチして着色しました。
1882年に湖水地方のウィンダミア近くに長期滞在した際、ポター家は教区の牧師である大聖堂参事会員ローンズリー・ハードウィックと親しくなりました。
ローンズリー氏は当時から、産業開発と観光化が湖水地方の美しい自然を脅かしていることを懸念していました。
ローンズリー氏はビアトリクスに田園地方の景観保存の大切さを説き、このため、ビアトリクスはその後の人生においてもそれを深く心にとめることとなります。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

動物たちのデッサン

ビアトリクス・ポターはウサギ、ハリネズミ、ネズミ、トカゲ、イモリ、カエル、コウモリ、ヒキガエルなど、さまざまな動物を飼っていました。
いろいろなペットの姿やその行動を観察していたおかげで、ビアトリクスは「ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)」シリーズで、キャラクターを細かなところまで創作することができたのです。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

植物のデッサン

ビアトリクス・ポターの初期の作品には花の絵があります。
ほとんどは花束や、色とりどりの花瓶に愛らしくアレンジされた花の絵です。
「ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)の絵本シリーズ」の絵本でも、植物や花がしばしば重要な役割を果たしています。
『あひるのジマイマのおはなし』のジギタリス(キツネノテブクロ)、『ベンジャミンバニーのおはなし』でビアトリクス・ポター(ミス・ポター)が盗んでたいへんなことになったタマネギ、かえるのジェレミー・フィッシャーどんが釣りにいくためにボートとして使ったスイレンの葉などが上げられます。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

キノコのデッサン

ビアトリクス・ポターがはじめて描いたキノコのスケッチは1888年のもので、湖水地方のリングホルムでの休暇中に描かれました。
その後10年間、ビアトリクスはキノコの研究に精を出し、1897年4月にはリンネ学会に菌糸の発生に関する科学論文を提出しました。
当時は彼女の観察結果はかえりみられませんでした。
今日では彼女の観察結果に間違いはなかったと専門家はみなしています。
1892年に知り合った、パースシャーの自然研究家であるチャールズ・マッキントッシュの助けを借りて、ビアトリクスはあらゆる種類のキノコの水彩画を何百枚も描きました。
マッキントッシュ氏は彼女の作品が植物学的に正確であることを賞賛し、1967年にはそのうちの60枚がW・P・K・フィンドリー博士の著作『あぜ道と森林のキノコ』のさし絵として使われました。
作品コレクションはアンブルサイドのアーミット図書館とパース博物館に保管されています。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

昆虫のデッサン

きのどくな「のねずみチュウチュウおくさん」の家の中には、いろいろな虫たちが勝手に入ってきます。
「まことにきれいずきな やかましや」である、のねずみチュウチュウおくさんは、ごみむし、てんとうむし、くも、ちょうを追いはらい、ジャクソンさんにはちの巣を取りのぞくよう頼みます。
ビアトリクス・ポターはごく小さなころから昆虫に興味を持ち始めました。
子どもころのスケッチブックには毛虫の絵が残っています。
その後、1890年代にはサウスケンジントンにある自然博物館を訪れ、昆虫の標本展示で昆虫について研究しました。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

風景画

ビアトリクス・ポターのスケッチブックの多くは、ロンドンのビクトリア&アルバート美術館とナショナルトラストに収められています。
彼女の人生で大きな意味をもつ場所の風景画もたくさん残されています。
なかには、「ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)の絵本シリーズ」のさし絵の背景に使われたものもあります。
ビアトリクス・ポターは独り立ちの第一歩として1905年にヒルトップ農場を買い取りました。

ビアトリクス・ポター(ミス・ポター)

絵手紙

ビアトリクス・ポターは子ども好きだったのでしょうか?
たくさんある子どもたちに宛てた手紙や絵を見ると、たいへん子ども好きだったといえるでしょう。
ビアトリクス・ポターの小さな絵本のいくつかは、ペンとインクで描いたさし絵を入れて子どもに送った手紙が元になっています。
ビアトリクスはまた、絵本に登場する動物たちの一連のやりとりを、、きれいなミニチュアの手紙として残しています